『 この仕事に就こうと思ったきっかけは何ですか? 』
『 新郎新婦のお二人にとって、人生で最高に幸せで大切な思い出を、私も一緒に造ることができたらと思ったからです 』いろいろと他にも質問は受けたのに。
この質問と回答だけが、記事の中で大きく太い文字で目立つようにしてあった。――― なんとも無難な回答。
決して嘘はついていない。そう思っているのも本当だけれど、それは自分の中の優等生的な回答だ。
実は他にも動機はある。だけどそれは堂々とは言えない、本当はもっと不純な動機だから。「朝日奈ー、ちょっと」
お昼休憩が終わり、午後の業務が始まってすぐ、袴田部長が私をデスクへと呼び寄せる。
「これ、見たよ。なかなかいい記事じゃないか。というか、デキる女って感じだな!」
私がデスクまで行くと、わざわざ自分の顔の前に雑誌の当該ページを開いて袴田部長が私に見せつけてくる。
……まったく。そのニヤけた顔を見るとふざけているとしか思えない。 袴田部長は楽しいことが大好きな性格だから、こうして冗談を言われることもしばしばだ。「お客様からも雑誌見ましたよって担当者とそういう話になるらしいよ。いや~、やっぱり朝日奈にしといて良かった」
「え?!」 「…は?」……ちょっと待って。今なんて言った?
「私にしといて良かったって、どういうことですか? 先方から取材対象は私でと、名指しで指名が来たんじゃなかったんですか?!」
「いや、だから、それはその……」 「部長! まさか部長の差し金で私になったんですか?」なにもかも部長の策略だった。確信犯だ。目の前のあわてた様子がその証拠。
そう考えた途端、私の眉間にはシワが寄り、眉がつりあがる。「悪かったよ。でも、評判いいよ? この記事」
苦笑いで首の後ろに手をやる部長を前に、あきれてなにも言えなくなってしまった。
もう過ぎてしまったことなのだから、今更怒っても仕方ないのだけれど。 騙されたことへの憤りからか、盛大な溜め息が自然とこぼれ落ちた。「用件がそれだけでしたら、仕事に戻らせてください」
口を尖らせ、部長にからかわれている暇などない、と言いたげに踵を返す。
「あ! 待てって! ちゃんと仕事の話もあるから」
あわてて呼び止める声に、再び小さく溜め息を漏らしつつ気を取り直して振り向いた。
「この前の、朝日奈に相談された企画の件だけどな」
少し前、私は企画のことで部長に相談していた。
多種多様なお客様のニーズに応えるためには、時には突飛で風変わりなプランも必要だと私は思う。 結婚式を挙げるカップルの中には、他とは違う印象に残る式や披露宴にしたい、というニーズもあったりするし。 要するに、普通では嫌だということだから、他社がやっていないものを提示すると興味を示してくれる可能性が高い。部長はどう思うのか、単純に訊いてみたかった。
この人は普段ふざけているところもあるけど、センスと勘は誰よりも優れていると私は密かに確信しているから…。「真っ青な海の中、木々があふれる森の中、か」
私が以前に渡していた資料を手に取って、部長が真剣にそれを見つめる。
私が思い描いたのは、その2つのパターンの空間造りだった。「だけど……海や森も、他社がもう手がけているよな。披露宴会場でのそういう演出は、すごく真新しい!とは言いづらい。ま、演出しだいだけど」 資料から一瞬顔を上げて私に視線を移し、部長はまた手元の資料に視線を落とした。「演出は例えばですが、お料理や食器なんかも全部一風変わったものにして……。でも、私が一番こだわってみたいのは新郎新婦の衣装です」 私がそう言うと部長は笑って顔を輝かせた。「衣装ね。なるほど。特にお色直し後の新婦のカラードレスが斬新なら、みんな印象に残りやすいな」「はい。動画や写真にもバッチリ残りますし」「海や森をイメージしたドレスかぁ」 少しは私の思い描いたものを面白いと思ってもらえたようで、私も自然と笑みがこぼれる。 やはり結婚式や披露宴の主役は女性である新婦だ。招待客も自然と新婦のドレスに目がいくと思う。 ならばそれを、いっそのこと大胆な演出のものにしてしまったらどうかと私は考えた。「とりあえず新作ドレスの製作だけは先に上の許可を取ろう。企画をまとめるのは、その目処がついてからだ」「はい」 部長の言う『上の許可』というのは稟議書のことだ。 もちろん私や部長の一存で、勝手に会社のお金で高額なドレスを作ることはできないから、それ相応の手続きがいる。 最近は新作ドレスを作ろうとする動きはなかったし、衣装部と相談してドレスの入れ替えのためだと強く言えば、おそらく稟議は通るんじゃないかと思っているけれど。「だけどデザイナーに依頼すると言ってもなぁ。うちがいつも頼んでるデザイナーに、そんな斬新なデザインを描ける人間がいるかどうか」 指をトントントンとデスクの上で鳴らしながら、書類を見て考えこむ部長を前に、私はひとりほくそ笑んだ。「そこで部長、相談なんですが」「ん?……もしかしてなにかアテがあるのか?」「アテはありませんが、依頼してみたいデザイナーはいます」「ほう」 それは最初に新作のドレスのことを考え出したときから、思いついたこと。 斬新かつ美しいドレスのデザインならば、私の中で是非依頼してみたいデザイナーがいるのだ。「最上梨子(もがみ りこ)っていう新進気鋭のデザイナーなんですが」「あぁ、知ってる!」「そうですか!」「この前俺が見に行ったショーにも参加してたよ。曲線美っていうか面白い発想のデザインだよな、彼女は
「ま、当たって砕けろってやつだ。取材はNGでも、デザインのオファーなら受けてくれるかもしれんしな」 「……はぁ」 「でもお前、真面目だからなぁ。あんまり頑張りすぎるなよ?」 最後はふざけた調子で、部長は私の頭をちょこんと小突いた。 仕事する上で、真面目のなにがいけないのか教えていただきたいものだけれど。 しかし、最上梨子……小難しい人だったらどうしよう。 私が意気揚々と張り切ろうとしていたところで、出ばなをくじかれた形だ。 何事もそんなに全てトントン拍子にうまく進むわけがないのだから、部長の言うとおりダメ元で当たってみるしかない。 とにかくアポイントを取ってみなくては話にならない。 悩むのは、実際に断れてからだ。 私は大きく息を吸い込んで深呼吸し、最上梨子デザイン事務所へと電話をかけた。 ―――― これが気苦労の始まりだと、知りもせずに。 最初の電話だけでオファーを断られるかもしれない。 話だって、何も聞いてもらえないかもしれない。 そういう予感もあったのだけれど、驚くほどすんなりとアポイントが取れて、一週間後に最上梨子デザイン事務所へ赴くことになった。「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」 「ありがとうございます」 事務所を訪れると、思っていたよりも小さい規模の建物だった。 私を出迎えてくれたのは、センスのいいジャケットを着た黒髪の男性だ。 年齢は私より少し上くらいだろうか。 考えてみたら最上梨子事務所のスタッフなのだから、服のセンスは良くて当然。 そしてすぐに事務所内のミーティングルームのような小部屋へ通された。 失礼ながらも部屋を見回すと、いたって普通のものしか置いていなかった。 しかも必要最小限だから、ガランとしていてとても無機質な感じがする。「どうぞ、お掛けください」 ぼうっと立ち尽くしていたところに、先ほどの男性がコーヒーを持って再び現れた。「すみません。改めまして、リーベ・ブライダルの朝日奈と申します」 私が自分の名刺を差し出すと、その男性は笑顔で受け取ってくれた。 そして男性も胸ポケットの名刺入れから名刺を取り出して、私に差し向ける。「最上梨子のマネージャーをしております、宮田(みやた)と申します」 名刺には『 宮田昴樹(こうき)』と、名前が記されていた。
「あ……お恥ずかしい限りです」 穴があったら入りたい気分だった。 いきなり会話の冒頭でその話題になるとは思ってもみなくて。 本当に恥ずかしくてたまらない。 どんどんと顔が赤らんでいくのが、自分でも手に取るようにわかるくらい。「どうしてですか。あの記事の方だから、お会いしてみようかと思ったのですよ?」 部長の策略に引っかかったことが、意外にもこんなところで役に立っている。 仕事に繋がったのなら、生き恥をさらした甲斐があったかもしれない。「お願いですので……あれは忘れてください」 「忘れませんよ。そんなのもったいないです」 私が恐縮しているのが可笑しいのか、笑いながら朗らかな空気を作り出してくれる宮田さんは、大人で紳士で素敵だ。「では、本題に入りましょうか」 「はい、実は最上さんにデザインをお願いしたいものがありまして」 私はバッグから書類を取り出してテーブルに置き、宮田さんの目の前に並べた。 そして私が思い描いているドレスのイメージとコンセプト、ゆくゆく企画にしたいと思っている全体プランを、できるだけわかってもらえるように懇切丁寧に説明を繰り返す。 宮田さんはその書類を無言で見つめ、しばらくしてから口を開いた。「朝日奈さんの企画の趣旨はわかりました。だけど、最上はブライダルドレスのデザインの仕事はしたことがありません。本当に最上でよろしいのですか?」 その質問に、私はパッと顔を上げる。そして大きく息を吸い込んで意気込んだ。「デザインをお願いするなら最上さん以外考えられません。どんなドレスをデザインされるのか、考えるだけで舞い上がりそうになります。私は最上梨子というデザイナーに惚れこみました。あの方の才能溢れるセンスなら、どんなものでもデザインできると、勝手ですがそう信じています」 「……」 「できるだけのことはこちらもしますので、是非一緒に仕事をさせていただきたいのですが」 自分の思いのすべてとはいかなかったが、三分の一くらいは言えただろうか。 少なくとも、私の情熱だけは伝わったかな。 ふと目線をあげると、机に頬杖をついた宮田さんとバチっと目が合った。 さっきは頬杖なんてしていなかったのに……。なんだか今までと雰囲気が違う。「できるだけのこと、してくれるんですか?」 「えぇ……私にできることでした
「こちらの要求は、たったひとつ。“ 秘密を守ること ” その一点のみです」 「秘密?」 「むずかしく言いましたが、あなたが誰にも他言しなければいいだけのことなのですよ」 「はぁ……」 「会社にも友人にも家族にも、です。できますか?」 秘密にしたい内容はさっぱり見当もつかないけれど。 とにかく、誰にも言ってほしくないことがあるらしい。「あなたが秘密を守れるというならオファーをお受けしましょう。守れないというなら、この話はなかったことに」 「え?! 守ります! 絶対秘密にします!」 「あなたが約束を破って他言した場合、こちらも一方的に仕事の契約は反故にします」 私を見つめる真剣な漆黒の瞳。油断したら吸い込まれてしまいそうだ。「わかりました。私を信じてください」 どんな秘密か知らないけれど、私が一切他言しなければいいのだ。 ただそれだけでオファーを受けてもらえるのなら、こんなに容易いことはない。 というか、そこまで厳重に守らなければいけない秘密って……。「では、ついて来てください」 言うが早いか宮田さんがおもむろに席を立つ。一体どこへ行くのだろう?「え? どちらに?」 「最上に会わせます」 「本当ですか?!」 最上梨子……本人に会える! どうやら私は第一関門を突破できたみたいだ。 宮田さんは、私を最上さんに会わせてもいいと思ってくれたのだから。 認められたと思うと嬉しすぎて、宮田さんが後ろを向いている隙に小さくガッツポーズをした。 実際に会う彼女はどんな感じの女性なのだろう? 綺麗な人かな? とてもキュートで可愛い人? つかのまの移動の間にあれやこれやと想像が膨らむ。 宮田さんの後をついて行くと、彼は事務所の最奥にある正面の部屋をノックもせずにガチャリと開けた。 広い部屋。それが第一印象だった。 入ったところの正面に、大きなガラスのテーブルと高級そうな黒いソファーがどーんと置いてある。 どちらもセンスがいい。 というか、この部屋の空間全部のセンスがいい。 ――― さすがは最上梨子。 ここは彼女が実際に使っている部屋なのだろうか。 仕事用のデスクも奥にある。入った瞬間、雰囲気的にアトリエのような感じがした。 部屋に入るなり、宮田さんなに
今の会話は……成立していただろうか。 まったく噛み合っていない気がする。 しかもかわいらしく「ごめんなさい」って言われても困る。 にこにこと砕けた笑顔になっていく宮田さんを呆気に取られながらじっと見つめると、ソファーに座るように促された。「ごめんなさいって……騙したって、どういうことですか?」 気がつけば私の顔からは愛想笑いの笑みがすっかり剥がれ落ちていて。 自然と何かを疑うような顔つきになっている自覚はある。 それも仕方ない。初対面なのに騙したなどと言われたら、身構えてそうなってしまうと思う。「すみません、単刀直入に言ってもらえませんか?」 はっきりとした口調でそう言うと、正面に座った宮田さんが私の顔を覗き込んだ。 こうなったら、腹を割って話して欲しい。「僕が、最上梨子です」 数秒間、ふたりの間に沈黙が流れる。 意味がわからないどころか、自分の耳を疑った。「あの……それってどういう……?」 「そのままの意味ですよ。さっきは僕と最上が別人みたいな言い方をしてごめんなさい」 「う、うそですよ!」 えっと……宮田さんは実は最上梨子で、ふたりいると思っていた人物が、実は同一人物だった? いや、いやいやいやいやいや。そんなことはありえない。「だって、最上梨子は女性ですよ?!」 「僕は女性だと公表した覚えはないんだけどな。名前が女性っぽいからみんな勝手にそう思ってるだけで」 「そ、それに宮田さんは、自分はマネージャーだって……」 「あー、それは騙しました。隠れ蓑になってちょうどいいからそう言うようにしていて。幸いみんな最上梨子は女性だと思ってるから、まさか僕が最上本人だとは予想もしてない」 それはそうでしょう。 私だって、悪いけどこんなキリッとした男性が最上梨子だとは、まったく想像だにしなかった。「ショックだった? ごめんね」 呆然として放心状態の私をよそに、宮田さんが可笑しそうにクツクツと笑いを漏らす。 からかわれているだけ……ではないようだ。「これが守ってもらいたい秘密。僕イコール最上梨子だと誰にも言わないこと」 目の前で起こっていることが、とても現実だとは思えない。 夢でも見ているんじゃないだろうか。仕事だということも、一瞬忘れてしまいそうだ。「秘密は
最上梨子の“秘密を守る”という条件付だったけれど、仕事のオファーは無事に請けてもらえることになった。 会社に戻って部長に報告するとよろこんでくれて、すぐに稟議書を書き上げて、会社に提出するまで事を進める。「きっと稟議は通るよ」 部長が言ってくれた通り、しばらく日が経ってから新作ドレスの稟議が降りたと上から知らせが来た。 もちろん、これからまだまだ道のりは長いのだけれど。「朝日奈、やったな! 会社のOKも出たし。いいドレスができるのを期待してるよ」 「はい!」 私も満面の笑みだったけれど、部長も興奮していていつもより声が上ずっている。そしてなにより明るい。「だけどまずはデザインだな。最上梨子がどんなデザイン案を提示してくるのかわからんが、実際にそれがなきゃ話にならん」 「ですね」 最上梨子のドレスが、うちの衣装部のマネキンに飾られる日がくるんだと思うだけで頬が緩んだ。 最悪、私の企画が最終的に通らなかったとしても、新作のドレスは衣装部に入荷することになる。 もしそうなったとしても、私が携わったドレスなのだからそれだけでも個人的にはすごくうれしい。「実際に衣装が出来上がったら、モデルを使って新しいパンフレットを作ろう。撮影の予算は俺が会社に掛け合ってやるから」 「ありがとうございます」 「とにかくお前は最上さんのとこに行って打ち合わせしてこい」 「はい」 「女性なんだから甘いものとか好きそうだよな。どこかでスイーツの手土産でも買って、彼女の機嫌を取っておけよ?」 「……そう、ですね」 最後の最後に、顔が引きつってしまった。 この企画に意気込みすぎて、今は忘れてた。……最上梨子の秘密のことを。 誰にも言わないと約束したのだから、もちろんそれは直属の上司である袴田部長にも絶対に言えない。 最上梨子が実は男だったからと言って、会社に損失を与えるわけでもないし。 別に黙っていても、どうってことはない。 だけど今の引きつった顔……部長にバレていないだろうか。◇◇◇「お電話でもお話しましたが、今日は依頼したデザインの件で伺いました」 最上梨子デザイン事務所に赴くと、マネージャーの顔をした宮田さんが現れ、今度はすぐさま例のアトリエ部屋へと通された。「最上先生がデザインするドレスがどんなものになるのか、今から楽し
「では、最上さん、とお呼びすればいいでしょうか」 「昴樹さん、で」 ん? 本名のほうがいいということ?「では、今後は普通に宮田さんとお呼びしますね」 「ああ……まぁいいか」 なぜ不服そうなのだろう。 仕事をする相手なのだから、名字にさん付けというのは普通だ。 いちいちこういう反応をされると、なんだかやりにくい。「あ、それと。僕、最初と印象が違うと思うけど、本当はこういう人懐っこい性格なんでよろしくね」 「……はい」 最初と印象が違うのは、もうとっくに気づいている。 おそらく、あれは演じていたのだ。 大人でクールで卒のない、最上梨子のマネージャーという役柄を。 そして現在目の前にいる彼が、きっと本当の性格の宮田さんなのだろう。 それよりも、人懐っこいくせにどうしてメディア嫌いなのか、意味不明だ。 この人のことが全然理解できない。「すみません、お口に合うかどうかわかりませんが、これ……」 気を取り直して、持って来ていた手土産の袋をさりげなく宮田さんに手渡した。「これはなに?」 「マドレーヌです。上司に持って行けと言われましたので。あ! 大丈夫です。秘密のことはもちろん上司にも言ってませんから」 手土産を考えた結果、男性でも好みそうな無難なマドレーヌにしておいた。「あはは。秘密は守ってくれてるって信じてるよ。それに、上司の指示だって僕に言っちゃうあたりが朝日奈さんは正直だよね」 そう指摘されて、カッと顔が一瞬で熱くなる。 本当だ。今のはそこまで言う必要はない。ひとこと多かったと自分でも思う。「す、すみません」 「朝日奈さんは真面目なんだね。見てるとなんだか妹を思い出すよ」 「妹さんですか?」 「ああ。しばらく会っていないけど。妹は朝日奈さんよりもっと真面目で現実的なタイプでね。型破りな僕とは正反対」 話しぶりからすると、妹さんは芸術肌とは程遠いタイプのようだ。 兄妹で、全然違う性格なのだろうか。「じゃ、このマドレーヌで一緒にお茶しようか。朝日奈さん、悪いけどコーヒーを淹れてくれる? そこにコーヒーメーカーがあるでしょ?」 「え?! あの、仕事の話を先に……」 「えぇ~、マドレーヌが先だよ~。仕事の話は、それを食べてから聞くから」 「せめて、食べながら、でお願いします」 立ち上がり、軽く
「朝日奈さんも食べなよ。これ、美味しいよ」 「それはよかったです。で、デザインの件ですが……」 マドレーヌの話をバッサリとぶった切り、仕事の話へと無理やりシフトした。「僕、最初に言ったと思うけど、ブライダルドレスはデザインしたことがないんだよ」 「はい」 「正直、まったくイメージがわかない」 「えぇ?!」 まったく? 少しも? 全然? そんなことを今更言われても困る。まさか、できない、というのだろうか。 それなら何故引き受けたのかと言い返したくなる。「いい加減な仕事はしたくないんだよね。だからさ、イメージが湧くように朝日奈さんが努力してくれなきゃ」 「わ、私が?」 「だってそうでしょ。だいたいね、朝日奈さんの頭の中に描いてるイメージ、持ってきた書類だけで僕に全部伝わってると思う?」 「それは……」 「頭の中のイメージだよ? それを形にして表現するのが僕の仕事かもしれないけど、他人の頭の中のイメージを100%理解するのは無理」 私は今回の企画のためのいろんな資料を、次々に慌ててバッグから取り出した。 言われていることはわかる。 だとしたら、1%でも多くわかってもらえるまで伝えていくしかない。「その書類は、この前見たよ」 目の前に書類を出した途端、先にそう言われて突っぱねられた。「でも、もう一度……。不明な点があれば何でも聞いてくだされば」 「そうじゃなくて」 視線を上げて宮田さんを見ると、にっこりと笑ってコーヒーカップに口をつけていた。「僕はね、一緒に作りたいんだ。朝日奈さんと」 「……え?」 「朝日奈さんの頭の中のものを僕が形にしてアウトプットする。ということは、僕の頭の中にも、100%とはいかなくても似通ったイメージがないと、アウトプットできないわけでしょ」 「はい」 「だから、もっと僕たちはわかり合う必要があるってことだよね」 じゃあ……私は一体どうしたらいいのか。 漆黒の髪と漆黒の瞳。 キリッとした容姿のくせに、子どもっぽい口調と人懐っこい笑顔。 仕事を引き受けておきながら、イメージがまったくわかないと堂々と言う目の前の男性に、心の中は違和感と不安でいっぱいだ。 どう言葉を続けたらいいのかわからなくて、まごまごとする私を見て宮田さんが小さくクスリと笑うのが聞こえた。「とにかく、明
それは最上梨子のデザイン画でもあるけど……。 それよりも、宮田昴樹というひとりの男性を守りたいんだ。 騒がれて傷つく彼の姿は見たくない。「それは……どういう意味だ?」 「……」 「俺は……お前はもっと、身の丈を知ってるヤツだと思ってたんだがな」 頑なに頭を上げない私の頭上に、辛らつな言葉が突き刺さる。 きっと私の気持ちは、部長にはお見通しだ。「公私混同するなよ。相手は今をときめくデザイナーだぞ?」 「……すみません」 「最上梨子に、惚れてどうするんだ!!」 「やめてください!」 部長が大きな声で私を叱咤する。 泣きそうになるのをグッと堪えて俯いたままでいると、それを制止する宮田さんの声が聞こえてきた。「彼女を……朝日奈さんを責めないでください」 「……」 「悪いのはすべて僕ですから」 ……宮田さん。「袴田さん、僕の正体のことを誰かに喋りたいのなら、それでも構いません」 宮田さん……なにを言ってるの?「ペラペラと他所で喋って、私になんのメリットがあるっていうんです? 週刊誌の記者にリークして小金を稼ぐとでも? 冗談じゃない。私も元はあなたと同じデザイナーの端くれ。同業者を売るような汚いマネなんてしませんよ。見くびってもらっては困ります」 「いえ……決してそういう意味では……」 袴田部長の勢いに飲まれたのか、宮田さんが難しい顔をして押し黙る。「あなたと朝日奈の間で、なにが約束されて、どういう経緯でこのデザインが描かれるに至ったのか、私は詳しくは知りません。まぁ、もうそんなことは知らなくてもいいです。ですが、私がこの秘密のことを黙っている代わりに宮田さん、ひとつお願いを聞いてもらえませんか」 神妙な顔つきで提案を突きつける部長に、私は隣で息を呑んだ。「お願い、とはなんでしょう?」 「朝日奈は見ての通り不器用で、一生懸命真面目にやりすぎるところがあります。最上梨子の秘密を守りたいと強く思うあまり、最上梨子に恋をしてしまった」 「部長……」 「その呪縛を解いてやってください。朝日奈を……解放してやってください」 呪縛って……そんな言い方ひどい。 しかも部長はなにか勘違いしていると思う。 まるでそれじゃ、私が囚われてがんじ絡めになってるみたいだ。「部長! 呪縛だなんて。勝手に決め付けないでください!」
「いえ。最上梨子が描きました」 「……だからそれは、あなたでは?」 ……どうして部長がそれを知ってるのだろう。 私の強張った顔からは嫌な汗が噴出し、これ以上ないくらいに激しい動悸がした。「ぶ、部長! なにを仰っているのかわからないです」 「朝日奈、お前は黙ってろ。俺は今、宮田さんに尋ねているんだ」 ここで部長にバレたらどうなるの? せっかくこんなに素敵なデザインを描いてもらえたというのに、すべて白紙に戻るかもしれない。 宮田さんは最初に言ったから。 秘密がバレたら、仕事は反故にする、と。 実際に、このデザインがドレスになることはないの? 幻で終わる? それも嫌だけれど、そんなことよりも。 部長がこの事実をほかの誰かに漏らしてしまったら……彼が最上梨子だったと世間にバレてしまいかねない。 それは絶対に嫌だ。 だって彼がずっと守り通してきた秘密なのだから バレるなんてダメ! 絶対にダメ!!「宮田さんは最上さんのマネージャーさんですよ! な、なにを変なこと言い出してるんですか、部長!」 「……朝日奈」 「私、黙りませんよ! おかしなことを言ってるのは部長ですから! 違いますよ、絶対に違います! マ、マネージャーさんが……そんな、デザインなんて描けるわけもないですし……」 「朝日奈さん、もういいです」 そう言った宮田さんを見ると、困ったような顔で笑っていた。「袴田さんには最初からバレる気がなんとなくしていました」 「朝日奈が必死に否定したのが、逆に肯定的で決定打でしたけどね」 「はは。そうですね」 そのふたりの会話で気が遠のきそうになった。 私があわてて否定すればするほど、逆に怪しかっただなんて。「で、いつから気づいてました?」 「変だなと思ったのは、あなたがここに視察に来たときです」 部長の言葉に、やはりという表情で宮田さんが穏やかに笑う。「普通、物を造る人間は大抵自分の目で見て確認したいものです。特にデザイナーなんていう、なにもない“無”のところから発想を生み出す人間は。……私もそうでしたからわかります」 「そうですね」 「だけどあなたは最上さんの代理だと言ってやって来た。いくら彼女がメディアには出ないと言っても、それはさすがに不自然でしたから」 「なるほど」 私にはそんなこと、ひ
エレベーターで企画部のフロアに到着すると、先に宮田さんを会議室へと通して袴田部長を呼びに行く。 私がコーヒーを三つお盆に乗せて部屋に入ると、ふたりが立ってお決まりの挨拶をしているところだった。「わざわざご足労いただいて恐縮です」 「いえいえ。こちらこそ最上本人じゃなく私が代理で訪れる非礼をお許しください」 「早速ですが、デザインが出来たとかで……?」 「はい」 袴田部長もどんなデザインなのか気になっているのだろう。 ワクワクしているような笑顔を私たちに見せる。「朝日奈、お前はもう見たんだろう?」 「はい。部長も今からド肝を抜かれますよ」 「お前……客人の前で“ド肝”って……」 「あ、すみません」 いけない、いけない。 普段の口調からなにかボロが出ることもあるんだから、この際私は極力黙っていよう。「では袴田さんもご覧いだだけますか」 先ほどと同じように、宮田さんが書類ケースからデザイン画の描かれたケント紙を取り出して部長の前に差し出す。 それを一目見た部長は、一瞬で目を丸くして驚いた様子だった。「これは……すごい」 ドレスの形はマーメイド。 色はエメラルドグリーンを基調に、下にさがるほど濃くなるグラデーションになっている。 肩の部分はノースリーブで、胸のところで生地の切り返しがあってセクシーさを強調している。 そして、なんと言っても素晴らしいのはスカート部分だ。 元々、曲線美を得意とする最上梨子らしく、長い裾のスカートのデザインは、まるで波のような動きを表していた。「この部分は?」 部長が指をさしたのは、肩から羽織る白のオーガンジーの部分だった。「海のイメージだったので、最上は人魚を連想したようで。それで形もマーメイドにしたようなのですが、上半身が少し寂しい気がしてそれを付け足したそうです。必要ないなら省くように言いましょうか?」 「いえ。これはまるで“羽衣”みたいだと思ったもので。私もあったほうがいいと思います。しかしドレスの色も、いいですねぇ」 「朝日奈さんに聞けば、披露宴会場の中は深いブルーにするおつもりだと。そこで最上は明るいエメラルドグリーンのドレスが映えると思いついたみたいです」 さすがですね、とデザインをベタ褒めする部長を見ていると私もうれしくて頬が緩んだ。 自分で絶好調だと
*** 約束していた翌日。 私は朝一番で袴田部長のデスクへ行き、ブライダルドレスのデザインが出来たことを報告した。 最上梨子の代理として宮田さんがデザイン画を持ってくる件も話し、部長のスケジュールを確認する。「それにしても、突然出来るもんかなぁ」 「え?」 「いやだって、全然進んでないみたいなこと言ってただろ?」 そうやって、少し不思議そうにする部長に、私は満面の笑みでこう口にした。「最上梨子は天才なんですよ」 宮田さんに伝えた時間は十四時。 その少し前に私は一階に降りて宮田さんの到着を待った。 しばらくすると、黒のスーツに身を包んだ宮田さんが現れて私に合図を送る。「お疲れ様。昨日のアレで足腰痛くない?」 「え!!……ここでそういう話は……」 「あはは。緋雪、動揺してる」 ムッと口を尖らせると、彼は逆にニヤっと意味深な笑みを浮かべた。「その顔やめてよ。尖らせた唇にキスしたくなる」 そう言われて私は一瞬で唇を引っ込めた。「あちらのテーブルへどうぞ。言っときますけど今日は“仕事”ですからね、宮田さん!」 「はいはい」 ガツンと言ってやったつもりなのに、この人には全然効いてない。 ……ま、それは以前から変わっていないな。「これなんだけど……」 移動するとすぐに宮田さんは書類ケースから一枚のケント紙を取り出して私に見せた。 テーブルの上に並べられたそれを見て、私は一瞬で驚愕する。「な……なんですか、これは……」 ケント紙に綺麗に濃淡をつけて色づけされたデザイン画。 生地の素材や装飾の内容など、詳しいことは鉛筆で書き込まれている。 それらを見て、私は息が止まりそうになった。「あれ……ダメだった?」 おかしいな、などと口にしながら隣でおどける彼を、 この時 ――――本当に天才だと思った。「マーメイド……。こんなすごいドレスのデザイン、私は初めて見ました。最上梨子は……計り知れない天才ですね」 「……そう? 緋雪に褒められると嬉しいな」 「感動して泣きそうです。行きましょう! 部長に見せに」 テンション高くそう言うと、宮田さんがにっこりと余裕の笑みを浮かべた。
しばらく意識を手放していた私がぼんやりと目を開けると、そこには逞しい胸板があった。 私を腕枕していた手が肩を掴んで、ギュッと身体ごと抱き寄せる。「起きた?」 声のするほうを何気なく見上げると、やさしい眼差しが向けられていた。 目が合うと先ほどまでの情事を思い出して、途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。「緋雪は恥ずかしがり屋さんなんだね」 そう言ってこめかみにキスを落とす彼は、余裕綽々だ。「あ、そうだ。頼まれてたデザイン、出来たんだけど」 「デザインって……」 「もちろんブライダルドレス。海のやつね」 「え?!」 以前に彼が自分で採点をしてボツにしたデザインじゃなくて……。 まったく新しいものを描き直してくれたのだと思うけれど。「出来たって……納得できるものが描けたってことですか?」 「うん。けっこう自信あるよ。自分の中じゃ手直しは要らないと思うくらい」 「え~、すごい!」 食いつくように目を輝かせる私を見て、彼がクスリと笑った。「最近、仕事が絶好調なんだよね。急になにか降臨してくるみたいに、ポーンとデザインが頭の中に浮かぶんだ」 「そういうのを、天才って言うんですよ」 「そうかな? 緋雪と結ばれた次の日から急にそうなったんだけど」 香西さんが、最近の彼のデザインを見てパワーアップしてると言っていたし、素晴らしい才能だと絶賛していたことを思い出す。 やっぱりこの人は、天才なんだ。「出来たデザイン、見せてください」 「ごめん、今ここにはないんだ。事務所にあるから」 「じゃあ、明日事務所に行くので……」 「僕が緋雪の会社に持って行くよ」 「え?」 明日の予定を思い出しながら、何時に事務所を訪問しようかと思考をめぐらせていると、宮田さんから意外な言葉が発せられた。 私がデザイン事務所を訪れることが、普通になっていたのに、どういう風の吹き回しだろう。「うちの会社に、来るんですか?!」 「うん。どのみち出来上がったデザインは袴田さんに見せることになるよね? だったら僕が行ったほうが早いから」 「それはそうですけど……」 「あ、緋雪は一番に見たい?」 その質問には素直にコクリと頷く。 自分が担当だということもあるから余計に、誰よりも早くそれを見たい気持ちがあるのはたしかだ。「じゃあ、袴田さんに会う前
急激に自分の顔が赤らむのがわかった。 彼の言うことはもっともだと思うのだけれど、いざとなると恥ずかしさが先に立つ。「じゃあ……プライベートではそう呼ぶようにします」 「今、呼んで」 「え?!……こっ……こうき」 舌を噛みそうなほどガチガチに緊張しながら彼の名を呼ぶと、クスリと笑われた。「緋雪は本当にかわいい」 「もう!」 「ちゃんとベッドでもそう呼んでね」 からかわないでと言おうとしたところに、逆に彼のそんな言葉を聞いて更に顔が熱くなった。「顔、赤いけど?」 「そりゃ、赤くもなりますよ」 いつの間にか至近距離に彼の顔があって…。 そのなんとも言えない色気に、一瞬で飲み込まれてしまった。「その顔……ヤバい。すごく色っぽい」 「え? ……逆だと思いますけど」 「は? 僕? なにかフェロモンが出てるのかな? 今、めちゃくちゃ欲情してるから」 耳元で囁かれると、電流が走ったように脳に響いた。 彼のくれるキスは、最初は優しくて甘い。だけどそのうち深く、激しくなって……。 舌を絡め取られるうちに、なにも考えられなくなっていく。 手を引かれ、寝室の扉を開けると、彼が私の後頭部を支えるように深いキスが再開された。「緋雪は僕を誘惑するのが本当に上手だね」 ベッドになだれ込んで、覆いかぶさる彼を見上げると、異様なほどの妖艶な光を放っている。「ど、どっちが……ですか」 誘惑されているのは、私のほう。 欲情させられているのも、私のほう。 あなたは自分の持つ色気にただ気づいていないだけ。 ――― 色気があるのは、あなたのほう。 あなたの長い指が、私の髪を梳く。 あなたの大きな掌が、私の胸を包む。 あなたの柔らかい舌が、私の目尻の涙を掬う。「ほら、呼んで? 名前」 ふたりの吐息が交じり合う中、律動をやめずに彼が言う。「……い、今?」 「さっき約束したじゃん」 パーティの夜にも同じことをしたけれど…… 今日の彼はあの時より余裕があって少し意地悪だ。 私には余裕なんて、微塵も無いのに。「早く呼んでよ。じゃないと、僕も限界が来そう」 ほら、と急かされるけれど。 私もやってくる波に煽られて、身体が自然とのけぞってくる。「こう……き。……昴樹……好き」 私の声を聞いて、一瞬止まった彼の律動が
「今日、岳になにをされた?」 感触を確かめながら、私の右手をそっと握る彼の瞳に嫉妬の色が伺える。「全部は見てなかったから。抱きしめられた?」 「いえ、それはないです!」 「だけど、頬にキスはされたよね?」 ……それは、見てたんだ。 というか、二階堂さんも見られているタイミングでわざとやったんだろうけど。「ほかの男でも腹が立つのに、相手が相手だ。緋雪が昔一目惚れした岳だよ?! 僕があれを見て、どれだけ気が気じゃなかったかわかる?」 だから……一目惚れじゃなくて、憧れなのに。「だったらなぜ、私に八年前のことを言わせたんですか?」 私にとっては、もう昔のことで。 ただの憧れだったし、今は綺麗な思い出だ。 だから、八年前のことを二階堂さんに告げてもあまり意味はなかったのに。「緋雪が今も岳のことが心に引っかかってて……要するに好きなんだったら、後悔のないように告白させてあげたかった」 「それで、私と二階堂さんがくっ付いちゃったらどうするつもりだったんです?」 「そしたら……岳から奪う」 彼が、諦める、と言わなかったことがうれしくて。 私の右手を握る彼の手の上に、自分の左手を重ねる。「私は二階堂さんじゃなくて、あなたが好きです」 「緋雪………初めて好きって言ってくれたね」 もっと早く、言うべきだった。 どこまでが冗談なのかわからない彼は、本当は異才を放つ最上梨子なのだ そう思うと、何の取り柄も無い女である私が傍にいるのはためらわれていた。 彼が仕事で関わるモデルの女性はみんな綺麗だから、私より絶対魅力的に決まっている……なんて、歪んだ感情も芽生えたりしていた。 好きだと態度で示されても、気まぐれにからかわれているだけだと思っていた。 いや……思おうとしていたんだ。 彼のデザインを見るたび、彼の作ったドレスに触れるたび、心をギュッと鷲づかみにされてその才能の蜜に吸い寄せられていた。 そんな人に好きだと言われ、態度で示されたら……。 しかもキスなんてされたら……最初から、ひとたまりもなかったのに。「僕も、好きだよ」 彼が心底うれしそうな顔をして、私の右の頬を撫でた。 そしてそこへ、ふわりと口付ける。 今日、二階堂さんがキスした場所と同じところだ。「上書き完了」 そう呟いた彼の顔が妖艶すぎ
「宮田さんにとって、私ってなんですか?」 「え?」 「どういうポジションにいます?」 泣いても喚いても、執拗に詮索しても。 あなたにとって私がなんでもない存在ならば…… 嫉妬したって、それは滑稽でしかない。「一度抱いただけの、仕事絡みの女ですか?」 「違う!!」 弱々しい私の言葉を、彼の大きな声が否定する。「僕は恋人だと思ってるし、緋雪以外の女性に興味はない」 信じないの? と彼が切なそうな表情をする。「こんなに緋雪のことが好きで、思いきり態度にも出してると思うんだけど。僕は自分で言うのもなんだけど一途だし。なのにそこを疑われるなんて……」 不貞腐れたように口を尖らせる彼に、そっと唇を寄せる。 そう言ってくれたことが嬉しくて、気がつくと衝動的に自分からふわりとキスをしていた。 唇を離すと、驚いた顔の彼と目が合う。「良かった。本当に枕営業しちゃったのかと思いました」 「……は?」 それは、パーティの席でハンナさんに言われたことだ。 なぜか今、それを思い出して口にしてしまった。 自分でもどうしてわざわざそれを持ち出したのかと思うとおかしくて、笑いがこみ上げてくる。「あのパーティの夜、宮田さんは……午前〇時を過ぎても魔法は解けないって言ってくれましたけど。朝になったら解けちゃったのかなと……なんとなく思っていたんです」 「どうして? 僕は解けない恋の魔法を緋雪にかけたつもりなんだけどな。あ、いや、ちょっと待って。それじゃやっぱり、僕は魔法使いってことになるじゃん!」 真剣な顔をしてそう抗議する彼に、噴き出して笑う。「不安だったのは、僕のほうだよ」 「……?」 「あの夜は気持ちが通じたと思ったし、心も身体も愛し合えたと思った。だけど、もしも無かったことにされたら……って考えたら、不安だった」 「……そんな」 「僕はやっぱり魔法使いで、王子は岳なのかも…って」 ――― 知らなかった。 宮田さんがこんなふうに思っていたなんて。 二階堂さんと私のことを、こんなにも気にしていたなんて。「宮田さんは王子様兼魔法使いなんですよ」 「……何その“兼”って、一人二役的な感じは」 「それとも私たちは、シンデレラとはストーリーが違うのかも。ていうか、一人二役でなにか問題あります?」 「……ないけど」 気まぐ
手を引かれ、十二階に位置する彼の居住空間へと初めて足を踏み入れる。「お、お邪魔します。お家、ずいぶん広いですね」 おずおずと上がりこんだ部屋には大きめのリビングとダイニングキッチンがあり、話を聞くとどうやら2LDKの間取りのようだ。 まるでモデルルームのように家具やカーテンの色や風合いがマッチしていてパーフェクトな空間だった。 この前麗子さんと話していて、宮田さんはどんなところに住んでいるんだろうと、気になってはいたけれど。 それがこんなに広くてスタイリッシュな空間だったとは思いもしなかった。「ここのマンションの住人には、ルームシェアしてる人もいるみたい。僕はもちろんひとりだけど」 なるほど。ルームシェアもこの広さなら出来ると思う。 なのに贅沢にこの部屋で一人暮らしだなんて……。「緋雪、気に入ったならここに越して来る?」 「え?! 私とルームシェアですか?」 「なにをバカなこと言ってんの! 僕たちが一緒に住む場合は、“同棲”になるだろ」 肩を揺らしてケラケラと笑う彼を見て、拍子抜けしたと同時に私の緊張もほぐれた。 私がはっきりと返事をしないまま、その提案が立ち消えになったことにもホッとする。「いつも事務所じゃコーヒーだけど、今日はビールがいい?」 ソファーに座る私に、彼はそう言ってキッチンからグラスと冷えた缶ビールを持ってきた。「ありがとうございます」 「パーティのとき思ったけど、緋雪はお酒飲めるよね?」 「あ、はい。それなりには」 コツンとお互いにグラスを合わせ、注がれたビールを口に含む。 ゴクゴクと美味しそうにビールを飲み込む彼の喉仏が、やけに色っぽい。 隣に居ながらそれを見てしまうと、自動的に心拍数が上がった。「今日のことだけど。僕が、モデルの子と一緒にいた件……」 ふと会話が止まったところでその話題を口にされ、私から少し笑みが引っ込んだ。「あの子はハンナの後輩なんだけど、けっこう気の強い子でね。ハンナのこともライバル心からかすごく嫌っていて。僕は今日、巻き込まれたっていうか……あの子が、」 「もういいです」 「……え?」 「もう、それ以上聞かないでおきます」 ハンナさんへの当て付けなのか、本気なのかはわからないけれど、あの女性が宮田さんに迫ったんだろうとなんとなく直感した。「言わせて